精神科で亡くなるということ

「もうここに来て50年ね」

この「ここに来て」とは、「精神病院に入院して」ということ。教科書で習ってると思いますが、精神科では社会的入院という言葉があります。

社会的入院とは、症状が改善していながら退院後の受け入れ条件が整わないため入院を続けている状態をいいます。

現在では老人病院とほとんど変わりのない患者さんが、大半を占める精神病院もあるほど。そのような患者さんが亡くなった時、どうなるかを知る人は少ないのではないでしょうか?

目次

  • 入院歴10年でも若手
  • 患者ではなく住人
  • その最期
  • 消された存在
  • 代替家族
  • 忘却
  • Bさんとぶっさん
  • 死を選ぶのは誰か

入院歴10年でも若手

「入院10年」、と聞くと「何があったの?」と疑問を抱きます。しかし、精神病院で数十年入院している方はザラです。入院歴10年はまだまだ若手。

今でこそ、地域への退院促進が進められるなかで、このような患者は減りつつあります。しかし、退院可能な軽い症状であっても、高齢のため自立度が低下しています。

独居は難しく、老人施設などへの退院を目指す人もいますが、施設の空き待ちがほとんど。順番が回ってくることもなく、そのまま病院で最期を迎える方がほとんど。

患者ではなく住人

患者さんというより、病室という貸し部屋に何年も住んでいる居住者、といった状態です。病棟のルールを守り、変わり映えのない日常を過ごす日々。

患者さんはたまに「私、皇室の血筋なの。皇后様が直々にお迎えに来るの」などと言います。それに対し、驚く人は多いかも知れません。

しかし、そんな妄想を持っていても問題ありません。発言以外は普通だからです。誰かに恐怖を与えたり、迷惑をかけたりすることはありません。人を突然襲うことなんて皆無です。病院の中で静かに生活している人が殆どです。

その最期

精神科の死亡原因は自殺が一番多いのですが、高齢者の自殺はほとんどありません。肺炎、ガンなど、通常の高齢者と変わりません。数十年も入院していた患者さんが亡くなるとどうなるのか?

霊安室で身を横たえる患者さんのもとに訪れる、最期の面会者がいます。それは家族ではありません。病院関係者です。数十年も入院している患者がいるのと同様に、精神科で数十年働く病院スタッフも沢山います。

医師、看護師、リハビリ、看護助手さん。様々な職種の方が、患者さんと長期にわたり関わり続けるため、誰かが亡くなったとき、各病棟に連絡が行きます。

「〇〇さんが亡くなりました。生前関わりのあった職員は挨拶に行くように」と。病院と提携している葬儀業者が夕方には身元を引き取りにきます。それまでに沢山の病院スタッフが、亡くなった患者さんのもとへ訪れるのです。

そして最終的に遺骨は無縁仏として祀るお寺に引き取られます。なぜ家族はでてこないのでしょうか。

消された存在

その昔、家族内から「精神病者」を出すということは、不名誉に扱われたようです。「育て方が悪かった」と家族が批判されることも。(発症の原因が家族にある、という説は一般的には否定されてるようですが、確定もしてないようです)

そのため家族は患者さんを、自分の住んでいる地域から遠い精神病院に入院させます。人目から遠ざけるためです。なかには「結核で長期療養している」「勝手に出て行った」など、近所にウソをつく家族もいます。

そこまでして隠したい存在なのでしょう。そして何十年も家に帰ることもできないまま、病院で過ごすことになります。

代替家族

そうなると、生活をほぼ共にしている看護師が家族のような存在になります。といっても、病院独自の生活ルールを強いられたなかでです。一方、一部管理もしてくれます。掃除も料理も不要です。やることと言えば洗濯をするか、日用品を買うぐらい。

看護師の新人入職を見、たまに恋愛相談にのり、結婚を祝い、出産を喜ぶ。看護師-患者の関係を保ちつつ、何十年も互いの生活の一部を共有しながら生活します。と言っても、共有できるのは看護師自身が語る私生活のごく一部。

良いか悪いかは分かりませんが、そこに擬似家族のような、半透明でありながら強い関係性も生まれます

とは言え、患者さんが亡くなると当然、家族に連絡は行きます。ただほとんどの家族は病院には来ません。遠方に住んでいたり、家族自身が高齢であるため、病院に来れないのです。

連絡がまったくつかない家族、完全に縁を切ってしまう家族もいます。その患者さんのカルテにある「緊急連絡先」は家族ではなく、病院所在地の自治体の市町村長になるのです。

中には身元引受人としてカルテに記載されているにも関わらず、いざ連絡してみても「そんな親戚いるなんて、聞いたことありません」と言われることも。それはなぜか。

忘却

数十年入院している間、家族はその存在を近しい少数の身内にとどめます。そして時は経ち、患者さんの存在を隠したまま家族は亡くなってしまうのでしょう。

「いつかは話さないと」。そう思って、打ち明けることもできないまま、身元引受人である家族はいなくなります。今ではこのようなケースは少なくなりつつありますが、時々あります。

「人生の大部分を病院で過ごしたその最期がこれか」

と、なんとも侘しく、虚しさを隠し切れません。

Bさんとよっさん

新人の頃、Bさんという元絵描きのおじいちゃん患者がいました。Bさんの担当はベテラン男性看護師、よっさん。2人はいつも、おやつや買い物のことでケンカをしていました。

嚥下機能が落ちているのに「餅を食わせろ」というBさん。「死ぬからやめろ」というよっさん。毎日のようにケンカはしつつも、どこか絆を感じさせる2人。

しかし、Bさんは肺炎をこじらせ、ある日突然亡くなります。その日、よっさんに「お前、誰か亡くなったの初めてか?」と聞かれました。新人だった私はそんな経験はありません。

そう伝えると、よっさんに「ついてこい」と言われ、霊安室へ。よっさんと2人、亡骸に手を合わせ、焼香を済ませます。霊安室を出ようとすると、よっさんはBさんの肩を叩きながら声をかけます。

いい男だったのにな。こんな死体になりやがって。

あと、沢山イジメて悪かったな

その言葉を聞いて、2人が何十年も生活を共にしてきた時をつきつけられます。

死を選ぶのは誰か

患者さんの中には治癒が見込める可能性はあっても、「治療しなくていいから、ここで最期を過ごさせてくれ。他の病院には絶対行かない」と言う方もいます。

何十年も生活してきたのだから、そう言うのも当然かもしれません。実際に、治せる可能性には賭けず、他院での専門治療を拒否し続け亡くなる患者さんもいます。

治せたはずなのに、と考えるスタッフ。治せたけど、最期は本人の意思を尊重できたと考えるスタッフ。どちらが正しかったのか?それは本人に聞かないと分かりません。

ただ何十年も病院との管理下で、様々な選択肢を奪われてきた患者さんにとって、死は最期の選択肢ではないでしょうか。私がいた病院は、そのような価値観が浸透しておりました。

末期の肺がんでもタバコを吸う患者。窒息時用の吸引機を横にスタンバイし、ヤキソバを食べる嚥下機能の低下した患者。インスリンを打ちながら、誕生日だけはホールケーキを楽しむ患者。

「いいんですか?そんなことして」と質問する私に対し、プリセプターが行った言葉はこうでした

「これ以上、奪えるものなくない?」

10年ちかく精神病院で働いてきたのですが、あまにり日常とかけ離れているにも関わらず、徐々に慣れていってしまいます。友人に病院の話をすると驚かれることも多々。

ごく限られた人にしか知られず、社会的にも、そして家族からも忘れ去られてしまう存在がいる。知らず知らずのうちに、私達医療者は、それを当たり前のものとして扱い、忘却に加担しているのかもしれません。

今では地域支援という形で、長期入院は減りつつありますが、日本は世界的に見ても圧倒的に遅れています。

このような最期を迎える人たちが身近に存在する。20代の自分にとっては、死についてあまりにも考えさせられる日々でした。

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