逃げられなくなる被害者心理。イジメが起こる環境と条件。社会学から考える病院でのイジメ その2

前回書いた記事の続編です。

※2/11加筆 本からそのまま引用した文章が多いです。本のパクリに近いのかも知れません。ぜひ原著を読んで欲しいと思います。 ...

自分程度の人間が調べたものなんて、上の方々は既に知ってるんだろうなーぐらいに思ってたので予想以上の反響に驚いてます。

https://twitter.com/FF22iBjw6wvgElQ/status/1094600746937417730

https://twitter.com/YoonA_partydoll/status/1094595951275081733

今回は被害者が何故逃げ出さないのか、そして人をイジメという怪物に変えてしまう環境についてです。

目次

  • なぜか「加害者への怒り」をもたないイジメ被害者
  • 環境が人をあっさり変えてしまう
  • 人を残酷にしてしまう病院の労働環境
  • いじめが起こる環境条件

なぜか「加害者への怒り」をもたない看護師

自尊心が低下することで「怒り」が出なくなる

「結局仕事できない私がいけない」
「何を言われもぐうの音も出ない」

理不尽な目に遭っているにもかかわらず、加害者ではなく「自分が悪い」と自責的になる新人は多い。なぜか?明らかに理不尽なのに。

それは自尊心が低下しまっているから。それにより自身のおかれた状況を客観視できないのだ。いわゆる心理的視野狭窄という状態。これに陥ると以下のようになる

<体の視野狭窄>

実際に見える範囲(視野)が狭くなります。悩み事をしながら歩いていると、周りのものにあまり目を向けていないことがあると思いますが、まさにその状態です。スポーツ選手もストレスを取ると敵の行動を把握しやすくなると言われています。外の綺麗な景色や人々が、目に入りません。

<心の視野狭窄>

ある片寄った考え方しかできなくなるなど、考え方の視野が狭くなります。ネガティブな思考パターンから抜け出せなくなったり、「自分はダメだ」という考え方から抜け出せなくなったりします。周りの人の意見を聞き入れることができなくなる。

自尊心とは?

自分の気持ち、考えを大切にする心
自分自身に誇りを持っていること

理不尽に対しての怒りとは、本来自分を守るための感情でもある。自尊心があるからこそ、怒りが生まれるのだ。

つまり本来怒りを感じてもいい場面で逆に自分を責めるのは、自尊心が低下してしまっていのだろう。

新人にとっては「あなたは人の命を守れていない」と毎日言われているようなものだ。自尊心なんて残るわけない。

自尊心が低下した看護師の特徴

自分の怒りに否定的
相手が悪くても「自分のせい」と考える

自尊心が低いと、人は「怒りを感じない、感じてはダメ」と考える傾向がある。「良い人」になろうとするのだ。

ちょっとでも怒ると嫌がられる、という誤解から、自分の怒りを抑えてしまう人が多い。これから病棟内でうまくやっていきたい新人は、普段からそんな心持で仕事をしてるのではないか。

しかし怒るべき時に怒らないと「他者からの侵入全てを許してしまう」ということになる。つまり新人はイジメ加害者の侵入を許してしまっている。

自尊心の低下から、嫌な態度をとられても「相手が悪い!」ということが分からなくなっているのだ。結果「私のせいかも」と自分を責めてしまうのだ。

新人が被害を受けいれてしまう理由

「なかよく」しなければ仕事や勉強にならない集団内では、うまくやっていくために「へつらう」。 つまり力を持ったグループに自分の生き方を預ける必要がある。

理由は生き延びるため。自分が仕事をできるようにならなければ、誰かの命を危険にさらすことになる。だから理不尽な扱いを受けても仕事を教えてもらわなければならない。

だから新人は理不尽を受け入れ、なんとか生き延びようとする。彼女達なりのつらい最善策なのだ。

環境が人をあっさり変えてしまう

再度、イジメ研究の内藤朝雄の著書から学校を例に挙げたものを引用する。

学校で群れの生活をしているときと、市民として生活しているときとでは、生きている感覚が激変しており、そのことが当人もよく理解できていない。ただ、自分が変わったとしか意識できない。

イジメの加害生徒たちは、自分達が「学校的」な空間のなかで生きていると感じている限り、自分達なりの「学校的」な生き方を堂々と貫く。

彼らがそのような振る舞いをやめるのは市民社会の論理に貫かれ、もはや「学校的」な生き方が通用しないと実感できたとき

と述べている。この一文、学校を病院に、生徒を看護師という言葉に置き換えてみるとこうなる↓↓↓

病院で群れの生活をしているときと、市民として生活しているときとでは、生きている感覚が激変しており、そのことが当人もよく理解できていない。ただ、自分が変わったとしか意識できない。

イジメの加害看護師たちは、自分達が「病院的」な空間のなかで生きていると感じている限り、自分達なりの「病院的」な生き方を堂々と貫く。

彼らがそのような振る舞いをやめるのは市民社会の論理に貫かれ、もはや「病院的」な生き方が通用しないと実感できたとき

しっくりくるのではないだろうか?

そして最後の一文『彼(女)らがそのような振る舞いをやめるのは市民社会の論理に貫かれ、もはや「病院的」な生き方が通用しないと実感できたとき』

これに解決策のヒントがあると思う。それについては次回の記事にて触れてみたいと思います。

先輩看護師の変化

「環境で人はあっさり変わる」という話で、とある新人看護師がプライベートの外出先で職場の怖い先輩に偶然出会ったという話がある。

職場では猛烈に怖い先輩にも関わらず、外出先で会ったときはよそよそしく他人行儀だったのだ。まるで別人のように。

病院で群れの生活をしているときと、市民として生活しているときとでは、生きている感覚が激変しており、そのことが当人もよく理解できていない。ただ、自分が変わったとしか意識できない。

まさにこれと同じことが起こっていたのではないか?

戦時中にも同じ現象がみられた

空間が変わることで人も変わってしまう例をもうひとつ。精神科医の中井久夫が疎開先でイジメを受けたと語ったエピソードがある。

しかし終戦後、イジメのリーダーについて「小権力者は社会が変わると別人のように卑屈な人間に生まれ変わった」と話している。戦争という激動の時代がどう影響したのか?

戦前は近所同士でも、多少の妬みなどの否定的な感情があった。でも各自が適度な距離を保ちながら生活できていた

しかし戦時中、地域コミュニティの自治と共同が過酷に強制された。すると、今までの否定的な感情が刺激され、今までにはなかったイジメが生じるようになったと言われてる。

同じコミュニティでも時代や環境条件によって、人は安易に流され変わってしまうのはいつの時代にも見られた。

そして今、病院の労働環境は人を変えてしまうほどの条件に当てはまってはいないだろうか?

人を残酷にしてしまう病院の労働環境

「市民社会では当たり前の自由とされることの大半が学校では禁じられ、そのかわり市民社会では暴行、傷害、恐喝その他の犯罪とされるものが学校では堂々と通用し、場合によっては教育の名において道徳的に正当化される」

社会思想史を専攻する政治学者、森政稔もこう述べている。やや過激であるが、これも病院という言葉に置き換えると一部共通するところはある。

以前勤めていた病院で働いていたとき、後輩に「同級生に怖い看護師になりそうな人っていた?」と聞いたことがある。それに対し、こう答えた。

「学生の頃の同級生に、イジメをしそうな人なんていないと思うけど、いずれそう変わってしまう人もいるのでは。というより、いると聞いた」

「患者さんを助けてあげたい」って気持ちはみんな同じはずなのに」

やはり環境が人を変えてしまうのだろう。

いじめが起こる環境条件

環境の何が人を変えてしまうか?考えられてる理由、イジメが蔓延する場所の特徴を挙げる。

  • 漠然としたイラだち・ムカつき・落ち着きのなさ・慢性的空虚感
  • その反転形としての空騒ぎ(イジメ)

学校制度を例にあげると

  • 初対面なのに一日中ベタベタと共同生活することを強いる
  • 心理的な距離が強制的に縮められ、様々な「関わりあい」が強制される
  • 生徒達は自分達なりの社会秩序をつくりあげる。それは仲間集団への隷従を強いるもの
  • それにより漠然とした生きづらさを感じさせる

もう何度も言う必要はないかもしれない。いじめは学校でも病院でも似たような条件によって起こっているのではないか?

上記の特徴を読むと、そう思えてならない。

被害者は理不尽に気づけないほど追い込まれ。追い込むほうは自分の行いや、それが環境による影響と気づかない。むしろ当然なこととして行われる。両者にとって不幸でしかない。

元をたどれば何が諸悪の根源なのか?正直、広すぎて解らない。なんとなくだが全てに原因があるとも思っている。

イジメが起こる原因は複数の要因が関わっており、一概に断定できるものはない。ただ現在の病院労働環境は、確実にイジメを生みやすくしているのは確かである。

次回は自分なりに考えた対応策を提示できればと思っています。

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